仕事を休んだ時に罪悪感を感じてしまう3つの理由と対処の方法3点
時に仕事を休んでしまいたくなる時はあります。
やむを得ない事情で休むことも気分が乗らなくて休むこともあります。
そのこと自体、そんなに責められるべきことではないのですが、なぜか罪悪感を感じ自分を責めてしまいます。
いったいどうして罪悪感を感じてしまうのでしょうか?
以下解説をしていきます。
Contents
1.仕事を休んでしまった後に罪悪感を感じてしまう理由
①生来真面目で倫理観のある人であるため
<POINT>
・真面目な人は罪悪感を感じやすい傾向にある
・罪悪感は根源的なものなので誰でも生じる可能性がある
罪悪感を感じやすいというのは、あなたがまじめな人であるということを示しています。
何故なら、こうあるべきという倫理観や正義感をなしに罪悪感は生まれえないからです。
ちゃらんぽらんな人だったとするならば、おそらく休んだくらいで罪悪感を覚えることは少ないと思います。
そういう意味において、仕事を休んでしまって罪悪感を覚えるというのは正常なことなのです。
逆に言うと罪悪感が全くわかないというほうがある意味深刻であると思います。
それは普通の人なら感じるであろうことが欠如しているからです。
もしくは罪悪感を感じたくないがために封じ込めているということも考えられます。
その場合は心の働きを取り戻すために大きな努力が必要となるのです。
罪悪感を手放すという話を後程しますが、罪悪感は手放し続けたとしてもなくなることはありません。
苦しい感情であることは間違いないので厄介なものではあるのですが、根源的なものなのです。
それゆえに、罪悪感を感じることは、正常なことなのです。
②周囲からの批判の声が大きいこと
<POINT>
・周囲の価値観に合わせて罪悪感を生じてしまうことがある
・日本人は教育によって働くことを賛美する価値観を持ちやすい
世間的に見て、休みを取るということについて批判的な人が日本に多いということがあります。
働き方改革が叫ばれて久しいですが、まだまだ働くことは美徳で休むことは悪という認識が多いということはあります。
特に周囲の感情に敏感な人や、周囲の意見に合わせやすい人は休むことに罪悪感を感じやすいです。
なぜこんなにも、休むことは悪だと思われがちになるのでしょうか?
これは戦前の教育が今の日本にも影響を及ぼしているといえるでしょう。
いわゆる規律を守り、命令には絶対服従し、軍務を遂行するための教育がなされてきました。
それは、現代では絶対服従の対象を企業に変え、企業戦士となるような教育がなされています。
戦前の教育の受け皿が企業になっただけなのです。
少しずつ色彩を薄めていってきていますが、まだ企業に絶対服従する生き方が推奨されています。
経済的に見れば、こういった生き方は合理的なのかもしれません。
しかし、心の面からみると、過度に集団に合わせなくてはならなくなり、感情が押し込められ、時には我慢を強いられます。
この風潮が長く続くことは、心の面の不調が増大する原因の一つであるといえるでしょう。
罪悪感を過度に感じてしまうのは、世間のこういった側面があるからです。
それゆえに休むことに罪悪感を感じてしまうのはごく普通のことといえます。
③心の中に怖れの感情を多く持ってしまっているから
<POINT>
・怖れの感情から罪悪感を感じやすくなる
・怖いという感情の手放しが進むと罪悪感も一緒に手放しが進む
怖れの感情を多く持っていると罪悪感を感じやすくなります。
恐怖心によって自分が悪いから何者からか自分が攻撃されるのではないかと思ってしまうのです。
罪悪感は怖れの感情と表裏一体で、罰せられるかもしれないと思っていると同時に恐れています。
例えば怖がり屋さんの場合、普通の人が気に留めないことも気にしてしまいます。
病欠して休んだだけなのに、菓子折りを持って職場に行かなくてはならないように思ってしまいます。
それはひとえに、罰せられるかもしれないと恐れているからです。
怖がりの人は、一般的な感覚以上に罪悪感を感じてしまいます。
そう考えると、自分の中の怖いという感情をなるべく手放していければ、罪悪感を感じる度合いも減っていくと考えられます。
ただ、怖いという感情は普通の感情なので、すべてなくすというのは不可能です。
ものの見方を変えていくことで、怖いと思う頻度を下げていくということは可能になります。
2.仕事を休んでしまった後の罪悪感を解放する方法
①自分をまじめだと認めること
<POINT>
・自分をまじめだと認めると罪悪感が軽くなる
・無自覚に責任を果たそうとする姿勢はまじめである
自分をまじめであると認めることが罪悪感を軽くする第一歩です。
「休んでしまった自分は責められるべきなのに、なぜ真面目なのか?」と疑問に思われるかもしれません。
何故なら休んだことに対して罪悪感を感じるという真面目さを持っているからです。
人に迷惑をかけてしまうかもしれないと思えること自体、とてもまじめです。
人に迷惑をかけるという発想すら持たない人もいます。
真面目に働くべきという観念も持っていると言えます。そうでなければ休んだことを気にしないのです。
無自覚に当たり前のこととしてあなたはその感覚を持っています。
そのくらい勤勉さが身についているという証拠なのです。
その勤勉さをまず認めてあげてください。
自分がまじめであるということが認められると心が軽くなるはずです。
②休んでしまった自分を許すこと
<POINT>
・休んでしまった自分を許すことは大切
・休んでいる自分を批判することは苦しいだけで何も生まない
休んでしまった自分を許すということも大切です。
罪悪感を持っているということは、自分が悪い奴だと思って自分を責めている状態にあるのです。
自分で自分を責めてしまっても、自分が苦しいだけで何の得にもなりません。
責め続けたとしても休んだことは変わりませんし、休むのはそれなりの理由があったはずです。
病気でも調子が悪いでも遊びたかったでも気分じゃなかったでもなんでも事情というものがあります。
気分じゃないときに気分じゃないことをするというのはいいことではありません。
もう起きていることをいろいろ思っても仕方がないのです。
それよりも、「まぁこのくらいいいんじゃないか」という軽い気持ちを持てるほうがいいです。
そのほうが休めますし、次の日から再び再起動できます。
もし、「そんなちゃらんぽらんなことでいいのか?」と反発したくなったら要注意です。
何故なら休むことに強い罪悪感を感じているからです。
それだと休めないばかりか、気分が悶々としてしまうでしょう。
世間的価値観や社会人としての観念をとりあえず捨てることを提案しています。
社会人としてという視点から外れることで、自分を休ませることに集中するのです。
どうしても外せないのであれば、休むことも仕事のうちと思ってください。
徹底的に「休むのはまぁいいんじゃないか」と思うようにしてみてください。
それで心は軽くなります。
③今日を休んで明日に備えるという視点を持つこと
<POINT>
・今日を休んで明日に備えるという視点を持つ
・明日に備えることのために今日を休むと考えると心が軽くなる
今日休むのはまぁいいんじゃないかとして、今日休むことで明日に備えられるかもと思うのも大事です。
どうしても今日休んだことの罪悪感が抜けなければ、明日からもう一度頑張ればいいのです。
誤りは正してしまうという発想です。(休むことは誤りではないのですが、罪悪感にどうしても囚われてしまう時の考え方です。)
人間生きていれば、できないことはたくさん出てきます。
今日できなかったら、明日もう一度やってみてできたらそれで良しとしませんか?
そのために今日一日気分良く休んでしまったらいいんじゃないでしょうか。
明日、仕事をまたやるんですから。
今日一日休んで、明日何かの役に立てるのならそれはいいことだと思います。
なので、気を楽にして休んでくださいね。
3.まとめ
・仕事で休むのに罪悪感を感じるのはまじめな性格に由来している
・周囲の価値観によって休むことは悪いことだという認識になっている
・罪悪感は怖れに由来する感情である
・罪悪感を感じたら、自分がまじめであると認め、今日ぐらいはいいかという軽い気持ちを持つことが大事
・今日休んだら明日からまた頑張ればいいと思えればなおよい
以上、参考になさってくださいね