愛は与えるもので感覚で感じると温かく安心感の持てるものである

愛を感じた覚えがないとか愛がよくわからないというお悩みがあります。

愛を感覚的に感じたい場合一人で実感を沸かせようとしても難しいかもしれません。

私もかつて、愛という感覚が分からなかった時期があります。

色々な人の助けを得て、愛という感覚を実感できるようになりました。

また、愛に関する思い違いということも分かってきました。

今回は愛という感覚が分からないというお悩み向けに、愛とは感覚的にどんなものか、愛するとはどういうことかを記事にしたいと思います。

1.愛を感覚で感じるとどういうものか

愛は概念的なものであったり、行動の指針のようなものであったり、感覚であったり様々なものが包含されています。

今回、愛を感覚的に感じる時、どういう感じなのかを説明していきたいと思います。

①愛はとても温かいものだった

愛を感じると、体がとても温かくなります。

どの程度温かいかというと、汗ばむ程度に温かくなるのです。

身体の中のエネルギーが循環している感じがします。

似ている状態は、ジョギングをしてしばらくたって、体の中が燃焼している状態です。

私の場合は、顔とお腹のあたりに熱を感じやすかったです。

ただ、熱と言っても激しい物ではありません。

ぬるめのお湯に温まっている感覚が得られやすいです。

温かみにはやさしさが感じられます。

何故優しさを感じたかというと、びっくりするような熱さではなく、人肌の温かみくらいの温かさで刺激が少ないのです。

刺激が少ない暖かさは、体への負担も少ないため、やさしい温かさと表現しました。

②非常に安心感を持てるもの

温かさを感じているとともに安心したほっとした気持ちになりました。

自分が護られているように感じました。

ぬるめのちょうどよいお風呂に浸かっているときの気分です。

とてもリラックスができます。

心配事も感じることはありませんでした。

ずっとその状態をまどろんで感じていたいと思いました。

③激しいものではなく緩やかでうれしいもの

激しい愛という言葉もありますが、私は愛は穏やかなものだと感じています。

激しさを求めたりするのはおそらく欲求ではないかと思います。

自分の欲求を満たしたいという想いが激しさを生み出します。

私は欲求をぶつけあうことが愛だとは思えません。

欲求を満たしあうことが愛だと思います。

そして欲求が満たされず飢餓のような状態にであると愛を感じにくいです。

それだけ、繊細な感覚であると思います。

自分の欲求をなるべく開放し、自分の周囲をよく見れるようになると愛を感じやすくなると思います。

そして、何より愛を感じるとうれしく思います。

2.愛は求めず与えるものである

感覚としての愛は上に書いたようなものでした。

次に書きたいことは、愛にまつわる誤解についてです。

自分が愛情から行っている行為が、実は相手には不都合だったりすることがあったりします。

私自身もかつての反省も込めて、愛なのか愛ではないのかのまとめをしていきたいと思います。

①傷ついたらそれは愛ではない

何かを相手のためにして、それが拒絶されて、自分が傷ついてしまったら、それは愛でした行為ではないかもしれません。

100%愛がないというわけではありません。相手のためを思ってした動機はあると思います。

ただ、拒絶されて傷ついてしまうというのは、「好意をうけいれてもらいたい」という欲求が強かったかもしれません。

受け入れてもらいたいという欲求が強かったからこそした行動であるという側面が強いのです。

自分が何かをしたから代わりに何かをしてもらおうとするのは取引です。

愛というのは取引ではありません。

相手のために何かをして、相手が喜んでくれる顔が見たい。

仮に喜んでもらえなかったとしても相手の都合が悪かったんだなと納得する。

といった、相手ファーストを自分が喜んで行うことだと思います。

そこには、辛さとか怖れのような感情は含まれません。

辛さや怖れの感情が入っている場合、その行為は取引の色彩が強いと思います。

もし、自分が取引をしているんじゃないかと心配になった場合、次のことを覚えておいてください。

拒絶されたときに、「相手の都合が悪かったんだな」と思ってその拒絶を受け入れるようにしてみてください。

それができれば、その行為は愛に変わっていきます。

②欲求が先立つと愛が遠のいてしまう

愛が欲しいと思う心が強すぎて、愛を求めすぎてしまうと、逆に愛は遠のいていってしまいます。

基本的に愛は与えていくものであるからです。

欲求をぶつけられたとき、人は負担に感じます。

一度くらいなら大丈夫かもしれませんが、繰り返し欲求をぶつけられるとだんだん辛くなってくるのです。

相手に負担を与えて辛くする結果を生むものについてはやはり愛していることにはならないのです。

それどころか、相手がしてあげようという気持ちもどんどん失われていきます。

愛してもらいたくても嫌がられてしまうようになってしまうのです。

③相手が望んでいることを理解して、行っていくこと

では愛するとはどういうことかというと、相手の望んでいることをしていくことなのです。

一番肝となっているのは、「相手の」ということなのです。

相手から見て都合がいいことをする必要があります。

それは、積極的に自分が何かをしていくことだけではありません。

望んでもいないようなプレゼントをしたところでそれは愛ではありません。

たとえば、何もしないで放っておくことも相手が望むならするのです。

黙って見守ることを相手が望んでいるなら、黙って見守ることも愛なのです。

相手が望むものは何かということに敏感になっていく必要があります。

思った以上に思い違いをしてしまうことがあります。

自分がしていることが、相手の我慢を強いているということもあるのです。

特に日本人は自分の想いを秘めていることが多くあります。

我慢して付き合ってくれていることもあったりします。

それを気付くには、しつこくならない程度に相手に聞いてみることです。

自分の感覚と相手の感覚は全く違うので思った以上に齟齬があるでしょう。

そこを埋めていく作業もまた愛であると思います。

3.まとめ

・愛という感覚は温かいもので安心感を得られるものである

・愛とは穏やかな感覚であって激しい物とは異なる

・傷ついたらそれは愛とは呼べない

・欲求が先立っていくと愛が遠のいていく

・愛とは相手の望むことを理解して、行っていくことである

以上、参考になさってくださいね。

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